りんごちゃんの実家の会社概要
りんごちゃんの実家の会社概要
園名: りんごちゃんの実家 (旧アップル島田園)
事業内容: りんごの栽培・営業・販売
創業: 80年余
代表: 島田 博文
園主のごあいさつ
毎度、格別のお引き立てを賜り厚くお礼申し上げます。 当園は、ナウマン像で知られる野尻湖から東へ約15km 斑尾山南ろくの標高500〜550mの丘陵地にあります。 夜の温度差が大きく色つきがよく大変おいしいりんごが 栽培できる地帯で全国でも評判が高く、 屈指の高級りんごの里として知られています。(現飯綱町、旧三水村地帯) 北信州のりんごの里で大地の恵みと太陽の光をたっぷり 浴びた歯ざわりと甘味と酸味がほどよくブレンドされた コクのある果肉をご賞味いただけます。 ご家庭用からご贈答用まで一級品のりんごを 多少にかかわらずご用命下さります様お願い申し上げます。 |
りんごちゃんの実家の歴史について
年表 | 歴史詳細 | |
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戦国時代〜 昭和初期 |
1615年大阪夏の陣で豊臣秀頼公を守り、徳川家康の本陣に突っ込み討ち死にした真田幸村の家臣である真田十勇士の一人、『望月六郎』の血を引く家系です。 また、一族の中には松代藩真田十万石の家老や奉行などを歴任した人物が多数おります。 長野県上水内郡三水村倉井地区にて戦国時代に起農し、麦・ひえや米・蚕(かいこ)とを栽培しており、昭和初期にりんご栽培に着手しました。 |
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昭和初期 | 長野県三水村(現飯綱町)倉井地区にてりんご栽培を本格的に始動させ、 一代目園主 島田秀太が園名『丸八農園』としてりんごの生産・販売を開始しました。 当時のりんご品種:国光・紅玉・陸奥(むつ) |
一代目園主 島田 秀太 |
1959年 | 伊勢湾台風により、大打撃を受けりんごが全滅してしまいました。 |
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1960年 | 再起をはかり、普通ふじ・スターキング等の品種を植え付け開始しました。 |
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1971年 | 二代目園主 島田倶康が 『青り2号(後のつがる)』を埼玉県安行市より花として売られていた300本を全て買い付け、植え付けをおこないました。 【青り2号は、青森県生まれのりんごでしたが、当時青森県では栽培が困難であったためりんごとしての価値がなく花が綺麗であったため花として売られていました。 この品種に目をつけた倶康は、寒暖の差が大きい三水の土地で栽培できることを発見し、三水村(現飯綱町)で初めて栽培に着手しました。】 |
二代目園主 島田 倶康 |
1973年 |
『青り2号』が青森県生まれということで『つがる』と名前が変更になり全国に広がりました。当時長野で『つがる』を栽培していたのは当園のみであったため、栽培方法の指導に尽力させて頂きました。 |
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1980年 | 三代目園主 島田博文が国光から切り替え普通ふじの拡大を行うためこの年から数年間植え付け増加をしました。 園名を『丸八農園』から『アップル島田園』へ改名しました。 |
三代目園主 島田 博文 |
1995年 | ふじ品種の強化のため厳選した結果、濃厚な味の佐原系ふじの植え付けに着手しました。 |
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1999年 | この年より佐原系ふじの枝変わりの選抜を強化し、濃厚な中のさらにおいしく実る枝のみを厳選しつづけています。 |
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2013年 | 大切に育てた子供のようなりんご達を温かい想いと共にお客様にご提供したいという考えから園名を『アップル島田園』から『りんごちゃんの実家』に改名しました。 |